山の日、お盆、そして

公開日:2022年08月15日

FXに祝日もないのでありますが、昨日は山の日でした。SNSでも繋がっているFX業界の友達が「きょうは山の日だというので、マッターホルンに行ってきました」と投稿していたので、こっちは近場の低山でも「ぜぇぜぇはぁはぁ」言っているのにたいしたものだなと感心していたら、洋菓子屋の名前でして、そこでケーキをたらふく食べてきましたということだったようです。
店のホームページをチェックしたら、たいへん人気のようで、オンラインショップを始めたところ、いきなり配送が込み合っているとのことです。

いっぽう、通勤列車はというと、お盆休みを取っておられる方が多いせいか、今日はガラガラでした。朝、余裕で座れて、しかも、社内的なことではありますが、珍しく仕事で良いことがあって、ちょっとほっとした気分の金曜日となっています。

この時期には、やはり終戦に絡んでブログを書くことが多かったのですが、まだ着手できていません。ウクライナや台湾のことについて、情報を収集し、それらを的確かつ整合的に整理するためにまだまだ時間を要しているということも仕事が鈍い理由のひとつです。

昭和の日本が、負けるとはっきりわかっている戦争になぜ突き進んでいったのか?
などについての問いには、しばしば「歴史に『たられば』はない」という言葉で突き返されることがあります。

そうは言っても、開戦に至るまでには、いくつもの転換点があったと考えられます。

① 日露戦争のあと、南満州鉄道の権益に米国も参加させてあげていれば???
② 満州事変の際に、(帝国陸軍およびその)関東軍を(通常通り)処罰しておければ???(西園寺公望元老と昭和天皇にはそのような事実認識と意思がもともとあったことが重要)
③ リットン調査団とある程度妥協して、国際連盟に残っていれば???(満州権益の放棄を求めるような屈辱的な内容では決してなかったことが残念)
④ 盧溝橋事件の発生と日中戦争

・・・まだまだ続きますが、個人的には、②までは仕方がなかったと考えています(「満蒙は我が国の生命線」という流行語が「喉は身体の生命線、咳やせき痰にたんは龍角散」というコピーのコピーだとは最近まで知りませんでした)。

この話は、日本史音痴の私が、最近よくお客様やパートナーさんにしています。つまり、FXと同じで、利確のタイミング、損切のタイミングがいかに難しいか、ということです。

上記のネタの出典は、半藤利一「昭和史」や茂木誠・渡辺惣紀「教科書に書けないグローバリストの近現代史」などに負っています。半藤先生は、これらに加えて、「戦争というのは始めるのがいかに簡単で、終わらせるのが如何に難しいか」というのを強調されています。

さて、日本もドイツと同じように、戦後分割統治になってしまっていたかも知れないというのはお聞きになったお客様も大勢いらっしゃると思います。

1945年7月26日に発せられたポツダム宣言を日本が受諾するまで、「いろいろあって」、半月以上かかったわけですが、これが8月15日ではなくて、もう一日でも遅れていたら、関東・中部・近畿は米軍、中国・九州は英軍、四国・近畿は中国軍(近畿は米中共同管理)、東北・北海道はソ連軍が統治、東京は四ヵ国が四分割して統治、となっていたらしいですから、空恐ろしい話です。

「いろいろあって」の部分は前掲の文献などに譲らせてください。ただし、どうしてもお伝えしたいのは、昭和天皇はポツダム宣言受信後、すぐさま無条件降伏の意思を示されていたのに云々という部分、そして残念ながら受諾意思が連合国側に伝えられるのが8月5日以前であったとしても、原爆投下とソ連の満州攻撃は避けられなかったということです。

戦前の天皇制における天皇というものは、決して、西太后や毛沢東や習近平のような指導者ではなかったことを示す、上記は多くの逸話の中のたったひとつにすぎません。

逆に、それだけ、君側の奸や軍部のエリートが情けない状態だったかという証左になりますが、これもまた日本人特有の「空気に弱い」ということだけに帰するのも間違っているのではないか???つまり、ウクライナ有事や台湾有事に直接関与している「勝戦国」のエリートが現在犯している過ちは、上記と同種のものではないかと、私は見ています。

いずれにしても、こういう人非人たちに、われわれの生活や経済を牛耳られてはたまったものではないですね。

それと、ドル円のボラティリティの高さと関係があるような、ないようなですが、踏ん張ってウォッチしていきたいところです。お盆前後は、日本のマーケットは狙われやすくなります。

最後に、お知らせ。Best AMMAの多くのAMMAがどんどん復活してきています。是非是非、また、御笑読ください。

投稿者:丹羽 広

最終更新日:2022年08月15日